いろいろと体験してみると本当に自分が本当に得たいものが見えてくる。
人間は、結構欲望のかたまりではないかと思っている。
これが食べたい。女の子にもてたい。あそこに行きたい。
あげればきりがない。
ブルーハーツの歌にも出てくるように「あれもしたい。これもしたい。」などと思ってやってみると、意外と何もできていないことってよくあるようにも思う。
やりたいことリストも作ってみたが、振り返ってみると何もできていなかったことを思い、愕然とする。
結局は思いの強さが足りなかっただけなのではないかとも思うが、
ただしいろいろと体験を重ねてみると気づくことがある。
「なんか違う?」という感じ、
バッターボックスに立って見て、実際に振ってみたけれど、バットとボールがかなり離れていたというこのギャップ。
ここで自分との内面の対話が始まる。
ギャップをどう埋めていくか?そもそも自分が手を出してもよかったか?
阪神のルーキー高山俊もプロの投手の球をあえて振ることで、そのズレを埋めることを今しているとのことであった。
高山曰く「振ったら気づける」
これは挑戦してみることで確かに気づくことなんじゃないか?
自分が得たいものは、本来自分の中に眠っているはずだが、なかなか自分を見つめる機会がなければ、埋まったままだ。
挑むことで、そこで感じた現状との差から内的な対話が生まれ、自分が得たい結果に向けてより努力を積み重ねる。
本来自分が得たいものは、何だろうか?
自分が向かうべき道や方向なんて、誰もわからない。最初から理論的に説明できることなんて本当はほとんどないはず。理由もなく「衝動」でそっちに引っ張られるもの。人間って、頭よりも感情の生き物だから。
抑えきれない衝動が湧いてきたら、まずそれを信じてみることが大切。頭で考えて行動すると、必ず後で「イメージと違った」と後悔することになります。けれど、「本物の衝動」で決めると後悔しない。答え合わせや説明は、あとからでいいんですよ。
本物の衝動
本当に自分が得たいものって、僕の説明でいうと、心の内側から湧きでてくるあのゾクゾク感のような気がする。これが自分が欲していて本当にお金を払ってでも得たい体験なのかもしれない。
決して恐怖感や危機感から来る衝動ではなく。
やらなきゃ→やりたい
回り道しなければ、分からないことだけれど、本物の衝動を感じられるよう、自分の感情に素直に向き合って日々を過ごしたいと思う。
皆さんは日々何を感じて生きていますか?