目標にこだわろう。
目標は人生の指示方向機。
目標がなければ、どこに進んでいいかなんて分からない。
別に達成できなくてもいいやなんて、思ってたけど、自分の人生は日々の目標の積み重ねで出来てるんだ。
だからこれからはこだわろう。1日1日をたてた目標を達成できるように。そう納得して1日を終わりたい。
【解説】
社会人になってからの僕は、仕事の計画はたてるけれど、日々の目標まではたてていませんでした。というかもともとそういう日々の目標をたてるなんて考えももっていなかったのです。
これは部活をやっていたときもそうでした。日々割り当てられるメニューをこなすだけだったような気がしています。
目標がその日その日を支配する。
これは横浜高校元監督渡辺元智さんの格言だそうです。
目標がないと、自分が何のために日々を過ごすのかも分からず、何となくモチベーションも上がらない。仕事に忙殺されるとますます日々のタスクをこなすことになりがちです。
日々の目標を達成できるように、どうやって時間を割り振ろうか?目標にこだわろうと強く思うことで、そういう発想が生まれ始めた。
そんな前に進んでいる実感が自分の人生を支えているような気がしています。
何となくモチベーションが保てない。そんなときは何でもいいから目標をたててみる、そして達成する。そんなプロセス楽しんで見てもいいのかもしれません。
成長って何だろう?
乗り越えたい壁がある。
そこを登ったらどんな景色が見えてくるのか。
山を登る人は、多分そんな感情なんだろうか?
成長というところの山は、姿や形がまるで見えない。どの辺まで登れば、それを実感したのか。
登っている最中は、もしかしたら気付かないのかもしれない。
誰かが言っていた。「失敗と書いて成長と読む」
人は学習をする。うまくいかなかったことから学ぶことの方が多いかもしれない。
もしかしたら成長とは、困難の先にあるものなのかもしれない。
だから僕は、成長と書いて挑戦と読む。
【解説】
成長って誰でも持っている願望なんだそうです。ただどういうのが成長というととても定義がしづらいですね。
ただし確実に言えるのは、難しい課題を乗り越えた先にあるものではないのかなと思います。
「失敗と書いて成長と読む」はプロ野球の野村監督(ノムさん)の言葉です。
またボクシングの村田選手は、「人間の成長は、一歩一歩ではなくドカンと成長する」と言っています。
村田諒太が「ドカンと成長」した時。人間のキャリアは一歩一歩じゃない? https://t.co/vSEoYXhBNt #numberweb #ボクシング @numberwebさんから
— お悩み☆リーマン (@wickyday) 2018年1月21日
失敗とは、上手くいかなかった経験。成功とは、たまたま上手くいった経験。
仕事とか、過去に付き合った彼女のこととか、自分のチャレンジしてきたこととか。
ほとんどが上手くはいってないけれど経験したからこそ語れることは、あると思います。
この経験の積み重ねが、成長の中でとても大きな部類をしめているのではないでしょうか?
だから僕は、チャレンジを積み重ねる経験がとても大事な気がしています。
何事もやってみなければ、わかりません。
僕であって、ブログがここまで続く何て思っていなかったから。
自分の強みとは
自分の強みって何だろうか?
野球しかしてこなかった自分にとって野球をとったときに残る強みなんてあるのだろうか?
強みがうまく言語化できない。強みを仕事をしたいと思うのに、何だか分からない。
そんな焦りがずっと心の中にあった。
強みが自分が自然としていることなんだと気付くようになったのは、人に自分の体験を話してみたことだった。
そうしてわかった。自分の強み。
他人には考えられないことでも自分が当たり前にやってしまうところ。
強みというのは、スキルではなくその人自身の、独自性。アイデンティティ。自分軸。
自分のコンパスをしっかりと目的地に向けよう。その方がきっと安心して進めるでしょう?
【解説】
先日とあるイベントに参加してきました。
そこでは、自分のこれまでを振り返り大きな転換点や自分の体験などを赤裸々に語るワークを体験しました。
最終的に参加者の方がどういう人間なんだろうというのを探るのがこのワークの目的だろうとは思います。
参加者の方々の話を聞いていて、それぞれの体験の中からその人なりの独自性が何となく分かってきてとても刺激的でした。
私もフィードバックをされ、逆にフィードバックをし返しましたが、自分では当たり前にやってしまうところでも「他の人にはすごい」と思う点があるのかなと感じました。
私はずっと小学生から高校まで通算11年間も野球をやっていたのですが、ほとんどの期間、レギュラーにもなれず、ベンチを温める日々でした。
それでもやめなかったのは、野球が好きだったから。中学や高校はまわりのレベルも比較的高く、レギュラーになれることは難しかったことも関係していますが、僕はそれよりも野球というスポーツの奥深さに気付き、もっと追求したいと思っていたんです。
当時は「試合に出てヒットを打つ。」僕はレギュラーになることよりもそれを優先して追い求めていた気がします。
たとえ輝かなくても、「自分が好きなことを地道に追い求めていく。」それを本能的に選択していたのかもしれません。
「自分の好きなことを追い求めていく。」そういったことを言語化してもらったことに気付き、もっと自分のことを話すことも重要なんだろうと思いました。
自分の強みって何だろうなと、考えると堂々巡りになってしまいますが、他者に自分の体験などを話してみると案外自分のことがはっきりと見えてくるのかもしれません。
人生を変えるために
いつだって、このくだらない人生を変えたいと強く思っていた。
強くなりたい。強くなって周りを見返したい。そんないっぱしの反骨精神だけは人一倍あったような気がする。
変えるために、色んなことに飛びついた。思えば単なる僕はおいしそうな餌に食らいつく一匹の魚に過ぎなかったのだろう。
出会いによって、人生はよくも悪くも変わる。結局は、そこで自分がぶれずに考えられるかなんだと思う。
これをやるんだという強い羅針盤のようなものが…。
【解説】
20代前半から半ばの頃は、確かに色々なトライをしたような気がします。その中で失ったものもたくさんありました。でも何とかして人生を変えたかったんです。
でも当時の僕は、何がやりたいことなのかがわからなかったんです。
確かに人との出会いは、僕が今まで気付きもしな知かったことを教えてもらったりしました。
本との出会いも重要なことです。本を手に取ったことで、学ぶことの大切さを教えてもらいました。
しかし人に会えば会うほど、本を読めば読むほど一層わからなくなりました。
そんなときでした。知り合いの人に「興味を持ったことをとりあえずやってみたらどうですか?」と言われました。
最初は半信半疑でした。これが将来どんな役に立つのか?僕はそれがばかり考えていたから。やっているうちも不安でした。
思えば、他人ばかりを見て、自分を大事にすることをおろそかにしていたんだと思います。
「他人は他人。自分は自分」これはまさに真理をついていると思います。
自分を理解すること。そうすることで明確にこれという目標ができた。少しずつ不安も解消されつつあります。
もう周りを見返したいなんか思わなくていい。むしろ他人に痛みにそっと寄り添ってあげる自分になりたいんだと強くそう思うのです。
寒さが与えてくれるもの。
これはきっと寒さのせいだ。
身体が思うように動かないのも、今を楽しめないのも、ため息がでるのも。
そうだ、冬の寒さのせいだ。
寒さには慣れているはずだけど、身体がどうやら受け付けてくれない。
春が待ち遠しい。
でも冬の寒さに鍛えられたあの頃を思い出すと、寒さが強さも与えてくれたんだと思う。
【解説】
私は、どうも寒さが苦手です。冬山でスキーやスノーボードに興ずる人々の気持ちがよくわかりません。一度そんな疑問を彼らに聞いてみたいと思ってもいます。
むしろ寒いところにいるよりも、暖かいところにずっとくるまっていたいです。
冬というのは、生物にとっては、準備期間なのかもしれません。それは熊が冬眠するというように。
スポーツをやっていた人間からすれば、冬は身体をいじめぬく季節です。ランニング、筋トレを通して、自分の弱さを実感し、逞しさを手にいれる期間です。
むしろこの期間を1年を通したよいスタートにできるようにしていきたいですね。よい状態で春を迎えられるように…。
比べることは、不幸せ
他の人の光を見て、自分の闇とのギャップが悲しく思える。
他人にあるもので、自分にないものを、
胸がチクチクと痛みだし、とても苦しい。
つかみとろうというエネルギーもないままに、ないものをねだるのは、あまりにも卑しい。
だから人と自分を比べるのは、逆に不幸せ。自分で自分の幸せを決められることが本当の幸せに近くなるんじゃないか?
【解説】
・マイホームをすでに購入した。
・結婚したけれど、自分にはそんな人もいない。
・同じ仕事をしているのに、ボーナスの額が違う。かつ新入社員と大して変わりがない。
最近抱いた嫉妬の数々です。私は貯金もほぼないし、彼女もいない、給料も並みぐらい。いたって平凡です。
だから周りが少し高い山に登っていると、
「何だかいいな」と羨ましく思う反面、「なんで俺はこうでないんだろう?」とどうしても思ってしまうんです。
もちろんそのマイホーム買った友達とか結婚した友達が、幸せかと言えば、一概には言えないこともわかってはいます。
先日結婚して数年たった友達の1人が、「結婚したからと言ってゴールでも安泰でもないんだよ。」
と言っていたのが、心に残っています。
結婚も幸せに生きていくための一つのスタートにたっただけであって、そこからどうやって進めていくかがもっと重要なんだろうと気付きました。
幸せはきっと決められるものではない。自分が主体的に選んで、自由に組み合わせて作っていくもの何だろうなと思うのです。
だから「あの人と比べて自分はどうか」と考えるのではなく、
「自分にとって重要なことって何だろうな」と考えた方がよほど生きやすいのではと思います。
同時にその同時に選択した自分もきっちりと受け入れてあげる。そういった態度も併せて重要なことだと思います。
そうすれば納得して徐々に進めていくことができるのではないかと思います。
揺るぎない目標を持つことで得られるもの
誰かの背や輪の中にいさえすれば何となく安心だった。
心の中できゅぅと締め付けられる苦しさも同時に感じていた。
早く大人になりたい。自由な翼を持ってどこかに飛んでいきたい。
僕は、今いつの日か夢見ていた大人になっている。明日の保証は決してない。しかし別の安心感をまた抱いている。
自分の目標に真っ直ぐ向かっているという安心感だ。この安心感は、何となくではなく、強く揺るぎないものになっている。
翼はまだ大きくもないけれど。
【解説】
高校や大学では、部活やサークルに所属していました。どこかに所属している状況は、そこにいさえすればとりあえずの安心感を得ることができました。どんなに影が薄かろうとも、所属からはずれれば、ハブられると思っていたんだろうと今では思います。
やはりすごく他人の目を気にして生きていたんだろうと思います。
社会に出たとき、初めてこの先やっていけるのかという不安を抱きました。大人になったら、自分の人生の軌道を自らの行動でつかみとっていかなければならない。そんなことを初めて知りました。
会社員だからと言って、身分を保証されているわけではない。そんな危機感から自分で稼ぐための取り組みを色々とやってみたものです。
しかしながら、どれも長続きせず、向いてないと言い訳ばかりしていました。不安はさらに増幅するばかりです。
色々と考えてみると、今後に役に立つかもしれないという基準で物事を選んでいたような気がします。
色々と経験してみてわかったのは、自分が本当にやりたいと思うこと。その直感を信じて行動してみよう。それが一番納得間があるような気がするのです。
確かに今後に役に立つことをやるのも重要です。しかしそれは一旦すみっこに置いて、やりたいことを思うままにやるという気持ちも同時に重要なんだと思うのです。
むしろそちらの方が自分の人生が前に進んでいる感覚があって、より毎日が充実しているような気がしています。
人生は、納得間のある目標によってある意味支えられているのかもしれません。