お悩みマンの未来日記

今感じたことを未来につなげるために、1人の働き人として役立つ記事を発信します。

寒さが与えてくれるもの。

これはきっと寒さのせいだ。

身体が思うように動かないのも、今を楽しめないのも、ため息がでるのも。
そうだ、冬の寒さのせいだ。

寒さには慣れているはずだけど、身体がどうやら受け付けてくれない。

春が待ち遠しい。

でも冬の寒さに鍛えられたあの頃を思い出すと、寒さが強さも与えてくれたんだと思う。

【解説】
私は、どうも寒さが苦手です。冬山でスキーやスノーボードに興ずる人々の気持ちがよくわかりません。一度そんな疑問を彼らに聞いてみたいと思ってもいます。

むしろ寒いところにいるよりも、暖かいところにずっとくるまっていたいです。

冬というのは、生物にとっては、準備期間なのかもしれません。それは熊が冬眠するというように。

スポーツをやっていた人間からすれば、冬は身体をいじめぬく季節です。ランニング、筋トレを通して、自分の弱さを実感し、逞しさを手にいれる期間です。

むしろこの期間を1年を通したよいスタートにできるようにしていきたいですね。よい状態で春を迎えられるように…。

比べることは、不幸せ

他の人の光を見て、自分の闇とのギャップが悲しく思える。
他人にあるもので、自分にないものを、
胸がチクチクと痛みだし、とても苦しい。

つかみとろうというエネルギーもないままに、ないものをねだるのは、あまりにも卑しい。

だから人と自分を比べるのは、逆に不幸せ。自分で自分の幸せを決められることが本当の幸せに近くなるんじゃないか?

【解説】
・マイホームをすでに購入した。
・結婚したけれど、自分にはそんな人もいない。
・同じ仕事をしているのに、ボーナスの額が違う。かつ新入社員と大して変わりがない。

最近抱いた嫉妬の数々です。私は貯金もほぼないし、彼女もいない、給料も並みぐらい。いたって平凡です。

だから周りが少し高い山に登っていると、
「何だかいいな」と羨ましく思う反面、「なんで俺はこうでないんだろう?」とどうしても思ってしまうんです。

もちろんそのマイホーム買った友達とか結婚した友達が、幸せかと言えば、一概には言えないこともわかってはいます。

先日結婚して数年たった友達の1人が、「結婚したからと言ってゴールでも安泰でもないんだよ。」
と言っていたのが、心に残っています。

結婚も幸せに生きていくための一つのスタートにたっただけであって、そこからどうやって進めていくかがもっと重要なんだろうと気付きました。

幸せはきっと決められるものではない。自分が主体的に選んで、自由に組み合わせて作っていくもの何だろうなと思うのです。

だから「あの人と比べて自分はどうか」と考えるのではなく、
「自分にとって重要なことって何だろうな」と考えた方がよほど生きやすいのではと思います。

同時にその同時に選択した自分もきっちりと受け入れてあげる。そういった態度も併せて重要なことだと思います。
そうすれば納得して徐々に進めていくことができるのではないかと思います。

揺るぎない目標を持つことで得られるもの

誰かの背や輪の中にいさえすれば何となく安心だった。

心の中できゅぅと締め付けられる苦しさも同時に感じていた。

早く大人になりたい。自由な翼を持ってどこかに飛んでいきたい。

僕は、今いつの日か夢見ていた大人になっている。明日の保証は決してない。しかし別の安心感をまた抱いている。

自分の目標に真っ直ぐ向かっているという安心感だ。この安心感は、何となくではなく、強く揺るぎないものになっている。 

翼はまだ大きくもないけれど。

【解説】
高校や大学では、部活やサークルに所属していました。どこかに所属している状況は、そこにいさえすればとりあえずの安心感を得ることができました。どんなに影が薄かろうとも、所属からはずれれば、ハブられると思っていたんだろうと今では思います。
やはりすごく他人の目を気にして生きていたんだろうと思います。


社会に出たとき、初めてこの先やっていけるのかという不安を抱きました。大人になったら、自分の人生の軌道を自らの行動でつかみとっていかなければならない。そんなことを初めて知りました。

会社員だからと言って、身分を保証されているわけではない。そんな危機感から自分で稼ぐための取り組みを色々とやってみたものです。

しかしながら、どれも長続きせず、向いてないと言い訳ばかりしていました。不安はさらに増幅するばかりです。

色々と考えてみると、今後に役に立つかもしれないという基準で物事を選んでいたような気がします。

色々と経験してみてわかったのは、自分が本当にやりたいと思うこと。その直感を信じて行動してみよう。それが一番納得間があるような気がするのです。

確かに今後に役に立つことをやるのも重要です。しかしそれは一旦すみっこに置いて、やりたいことを思うままにやるという気持ちも同時に重要なんだと思うのです。

むしろそちらの方が自分の人生が前に進んでいる感覚があって、より毎日が充実しているような気がしています。

人生は、納得間のある目標によってある意味支えられているのかもしれません。

感動を体感し、また共有する。

人が一生懸命何かを精一杯表現している姿を見るのが好きだ。

アーティストならば歌うこと、スポーツ選手ならば競技により違えど、走ることおよび身体を遣って何かをすることだろう。

彼らの頑張る姿を通して、われわれもそれを見て、何かを表現せずにはいられないんだろう。

それは、「頑張れー!」とか歓声を通じて。そしてそれを自分自身のエールとして。

そうして得た感動が明日の活力になる。僕もそういう存在になれたら嬉しい。

【解説】
年末は、知り合いと共に、スポーツ観戦に興じていました。しかしいつもと違うのは、ライヴ観戦ということです。いつもは、テレビでひまつぶしにしか見ていませんが、選手が必死に頑張っている姿を見て、普段は出したことのない声量で彼らを応援している自分に気付きました。
彼らの頑張りを自分に言い聞かせているのかもしれません。
僕自身もどういった形でお伝えしようかと考えると、文字を使って表現することかなと思うのです。
「自分のリソースを使って社会貢献をする」ある起業家の方が言っていたことです。
何も難しく考えることなく、まずは自分にできることを精一杯やる。こういったステップからでもよいのかもしれません。

不安を乗り越える

夜湯船に浸かっていると、突如不安に襲われ、自分だけがなぜか不幸に感じてしまうことがある。

なぜだか分からないが最悪のパターンをいつも想像してしまう。
明日ダメになる自分。この世界から消えてなくなる自分。

こんな不安って僕だけなのだろうか?


でも誰だって悩みはある。凡人でも名を残した天才でも。僕だけではないはずなんだろう。

不安は誰にでもある。だからどうにもならないものと受け入れて、真剣に毎日を生きていこうと思える。

その積み重ねの過程で、やがて自分だけのゴールが見つかったら、不安は過ぎ去り、あとは前に進むエネルギーが身体に道溢れていることだろう。

【解説】
仕事があまり満足にいっていない。恋人がいない。お金がない。この先どうなっていくんだろう?そんなことを考えていたとき、どうしようもなく不安に襲われていたことがありました。

しかしあるとき、ある有名なスポーツ選手のインタビューを見ていたら、彼もまたこの先の人生について悩んでいるようでした。

どんなに活躍している選手でも、同じように悩んでいるのを知り、こういう感情は僕だけではないんだと気付きました。

同時にどうしようもないものなのだと受け止めることにしました。

どうにもならないものと受け入れて、自分の行動でそれを帳消しにしようと心に誓ったものです。

しかしながら行動目標を達成したとしても変わらず不安は付きまといます。

どこに向かっているかがわからない。つまりゴールが見えなくなるということです。

しかしながらこのゴールが明確になると、そこに進んでいくエネルギーと安心感が芽生えてくると、僕は思うのです。

現状ゴールが見つかっていないならば、好きなことをとことんやってみることかもしれません。
周りの目を気にせず。思いっきり。

かくいう、私もそこに向けて前進している最中です。登った後の山の景色を楽しみながら。

孤独の貴重さ

独り身が長い夜に、不安で眠れないことがたまにある。

 

せめて側に誰かがいる安心感にひたりたいと思うことがある。

 

誰かにすがることも、集団に群れることも、一瞬は、寂しさをまぎらわせてくれる。

 

人は鏡だ。思わぬ自分を引き出してくれる。

 

しかし孤独になったとき、改めて思う。

自由だなと。

 

自分の心の声に耳を澄ませ、研ぎ澄ませる貴重な時間が孤独の中にはある。

 

忙しさの中にも、意識的にこの時間を作り出せたなら、どれ程良いだろうか。

 

【解説】

年末大学時代の友達が泊まりで遊びにきていました。大学のときの友達ですからお互いのコトや身の上話など、くだらない話でも割りと盛り上がりました。ただ彼には本音で語り合える貴重な間柄なのでとても安心して話せます。

通算で3泊ぐらい泊まったと思います。

彼が帰った後、数分後に自分との対話が自然と始まっていることに気付きました。

そこで改めて独りでいることの時間って貴重なことなのだと実感しました。

人と会って話す時間も重要ですが、こうして自分との対話をする時間もより重要です。

2、3年前ぐらいの自分

数年前の自分の姿をなんとははしにふと思い返す。 

あのときは、不機嫌な顔をして、不満や愚痴を垂れ流していた。

先の見えない不安と行き場のない感情を誰彼構わずにぶちまけていた。

そうでもしなければ、自分の中からあふれでてくる汚れた水を塞き止めることが、できなかったからだと思う。

強大な何かを求めては、何か違う?ということを繰り返しては、深みはまっていった。

あの頃から何が変わったんだろう?

環境は確かに変わった。もう1つ大きな変化は、少しだけ素直になったのかもしれない。

自分を認めて人を頼ってみた。素直に助けを求めるのもそれはそれで人間らしいと思うんだ。

【解説】
当時は、仕事に全くやりがいを感じられず、辞めることばかり考えていました。しかし転職する自信もなく、人にあっては、現状の不満をぶちまけている有り様でした。
何かしなければと思い、スキルや人脈を求めていました。少しだけ知識が増えると、それを持たない他人を少し軽蔑していたりもしました。
でも何も分かっていなかった。自分のことでさえも。
現状の不満ばかりいっていても周りは助けてくれるばかりか遠ざけるでしょう。結局は自分の責任な訳です。
まずは、行動してみること。そして困ったら人に頼ってみることです。全部自分で解決できるほどそんなに優れている訳ではありませんし…
でも誰でも言いわけではありません。僕なら誰に相談するだろうかと考えると悩みを共有できる人でしょうか。