不満は何かに向かうエネルギーへと変えていく。
以前研修会のグループ討議で、「会社の上司の不満」についてグループで討議をしたことがあった。
周りの方は上司のここがダメだとさかんな議論をしていたが、僕はそもそもこの議題への違和感を持った。
「不満なんてこういう場所で言うべきではありません。」と討議とは全く無意味な発言をして周りを完全に凍りつかせた。
不満がいい方向に働けばよいのだが、負の方向に行ってしまっては、取り返しがつかないところまでいってしまいかねない。不満についての井戸端会議には、さして興味がない。
愚痴や悪口がはびこる集団には、あまりよい未来を期待できないし、そもそもそういうものには加わりたくないというのが本音。もし自分がそういうことを言い出したならばそれを仕事を辞めるサインではないかと密かに思っているところだ。
以前友人が仕事の愚痴を延々と言っていたので僕は思わず、「そんなに仕事が嫌なら辞めちゃえば。不満があるっていうことは何かを変えるキッカケになるんじゃないの。」と辛辣なことを言ったっけ、
もちろん今すぐに辞めろというわけではないが、自分が望む方向へと少しづつでもよいからシフトしていくことが必要ではないかと感じている。
「不満」があるということは、実は「こうなればいいのに」という理想の姿があるからではないだろうか?逆にこの「不満」がないということは、現状に満足してしまう状態とも言える。
この不満について考えるとき僕はしばしばジャック・マーのある言葉を思い返す。
「人々の不満を聞くと興奮する。それが自分にとってのチャンスだから」
不満を感じているとき、それは何かを変えるチャンスではないのだろうか?
「本当はどうしたいのだろうか?どうなればよいのだろうか?」
そんな問いかけにより自分の今の状態に目を向ける絶好の機会なのではないだろうか?
不満とは、現状に満足しない姿勢を表す。僕はそのように解釈している。