自信の作り方をある言葉から学ぶ。
僕にはずっと言われ続けてきた言葉がある。
「ねぇもっと自信持ちなさいよ」と、
そんなものわかっていますけれどと言いたいところだが、これが最近まで分からなかった。
ずっと「自信の作り方」を教えて欲しい。そんな風に思って生きてきた。
だから片っ端からいろいろとやってみたが、なんか違うなという感覚があり、結果中途半端になったものもいくつかある。
思えば野球や営業の仕事で感じていた
「上手くいかなかったらどうしよう」という恐怖が自分を苦しめていたような
気がする。
あれだけ繰り返してきたことが自分がフィールドに立ったとき、どうしたって恐怖が襲った。
あれだけ結果を残したいと思っていたにもかかわらずだ。
しかし勉強の分野について、テスト前に入念な準備をしたことで、
不思議と「あれだけやったんだから大丈夫!」という割り切りができていたような気がする。
この差はなんだろう?
きっとそれに至るまでにどれくらいの準備を重ねてきたか?プロセスへの自信が精神の安定を生み出しくれるのだろうか?
もう一つ言うと、人とかかわるような仕事はあまり向いていないのかもしれないということも事実としてある(それだけで致命的であるが、)
準備という例をとると、アスリートに思い当たるところがある。
僕は野球しかしらないからプロ野球選手の例を出してみる。
彼は誰よりも早く球場に駆けつけ、ウォーミングアップから筋力トレーニング、試合中での準備体操。入念な準備を繰り返す。すべては一瞬の勝負にかけるために、
あの上原浩治も球場に駆けつけるのは1番早いそうだ。
一流のプロフェッショナルに共通すること、それは「準備」。
そのことに気づいたとき、僕は単純に「物事」への取り組みが単に甘かっただけなんだと気付いた。
最近僕はしばらく買っていたままだった黒田博樹の著者「決めて断つ」を読んだ。
そこに書かれていたことに僕が長年求め続けていた答えがあった。
「自信は与えられるものではなく自分が地道に積み重ねた結果得られるものだ」
自分が一生懸命積み重ねてきたもの。「これだ」と思い、自分を信じてそこに打ち込んできた時間。これなら負けない!というもの。
一過性で得た自信はそれは過信であるように思う。
長い時間をかけて重ねてきたものこそ本物の自信と呼ぶべきものなのだろう。
あなたにもあるだろうか?
自分が一心に積み重ねてきたもの。そしてその時間。
自分を嫌いになって、何かを変えようとする必要はないのかもしれない。
思い出してみれば、誰だってこれだと思う「光」をすでに見つけているのだから、
僕はそうやって自分の目の前にいる人に向かって、自分に語りかけている。
人はやはり鏡であり、自分が1番投影しているものだから、