成功の果実は1人ではなくてできれば誰かと味わった方がよいと思う。
私自身小学校からずっと野球というスポーツをやってきた。
野球は、「チームの団結・組織力」が問われるスポーツである。
どれだけいい投手がいてもどれだけ優秀な4番バッターがいても、チーム全体の戦力や団結が整わないかぎり試合に勝つことは、限りなく難しい。
だからこそみんなで共通の目標を持つことが大事になってくる。
個人の能力が高くても、内部が分裂してしまう状態であれば、チームとしての力は発揮できない。
ただ当時の僕は野球というスポーツ自体を楽しんでいてチームととしてどうかとはあまり考えない方だった。今思えばすごくもったいない。
野球をやっていた自分は野球というスポーツ自体とつながっているのみで、本当の充実はあまり得られなかった気がする。
この歳になって思うことがある。
仲間やパートナーの存在がとても重要だということに、
確かに人生は究極は自己満足だし、自分の欲求をいかに満たすかというのは最も重要だと思う。
だけれど、人は必ず誰かとつながっていたという欲求も同時に存在する。
高校時代の友達と話していたとき、僕はほとんど輪に加わることができなかった。
思えば他人と共有できる思い出が思えば欠如していたのかもしれない。
そこで僕は気付くことになる。
自己満足で得た思い出よりもあの時あんなことがあったみたいな他人と共有できる思い出が本当の生の充実。ここに生きている感覚をより強くさせているのではないかと、
例えば、バースデイケーキをひとりで食べていてもその場限りでは、美味しく感じるが、みんなに祝福され食べるバースデイケーキは、「みんなとこの思い出を共有できる感覚」と「ケーキが美味しいという感覚」、二重の喜びがあるように思う。
個人で完結できる仕事もそのタスクを完遂し、得られる達成感もあるが、その依頼者からありがとうって言われるときことこそ、初めて「成功」だと言えると思う。
前出のケーキのように、誰かと共有できる思い出があればあるほど人生は味わい深くなるものだ。