生き方への覚悟
私はただのしがないサラリーマンであり、日々レールからいかに脱線しないかを考えている典型的な人間である。
「いい学校、いい大学に入り、いい会社に入って」などというこの生き方の標準モデルは、破綻寸前であるように思う。
日夜ニュースで報道されている、シャープの経営不振、東芝の不適切な会計処理問題、すでに大規模なリストラが発表され、かつて世界を席巻した企業はいまや負け組に転落した。
これは、対岸の火事であるか?
この標準モデルが破綻寸前であるならば、自分で生き方を構築しなければ、ある日、あるきっかけで路頭に迷わざる得なくなる。
僕はその危機感を感じつつも、どうやって生き方を構築していけばわからなくなっている。
分からないのは当然である。
前に挙げた標準モデルを信じてきた以上、僕にもそれしか選択肢がないからである。
営業からの離脱
私は以前まで営業マンとして働いていた。当然周りの先輩を見習ってついていけばそれなりにスキルも伴い、順調なキャリアアップを図れたことだろう。
ただ私はそうなるには要領が悪すぎた。先輩がいうことを実践しようにも体がついて行かず、結果先輩には疎ましがれ、仕事も結果が出ず、心身のバランスを崩してしまっていた。
別の部署に異動となったが、その先は直属の先輩が50も手前だという。
いわゆるモデルケースの不在である。
ここで断っておくが、これは私の自己責任であり、そうなってしまったことを他責にするつもりもない。
追いかける人間もいない環境の中で、途方にくれるしかなかった。
私は、その状況の中である出来事をふと思い出した。
たった1回の出会い
ここからは、正直男子の汚れた欲望であるため、なるべく女性の方々にはみてもらいたくないところだが、余すことなくお伝えしたい。
これは私が異動になる3ヶ月前のことである。暑い夏の日であった。
それは営業所とは別の駐在所に出張に行ったときのことであるが、そこの駐在所の先輩に僕がとまっているホテルにデリヘルを呼べと言われたのである。
ほどなくインターフォンがなり、ドアを開けると立っていたのは、
耳や鼻ピアスが空いており、全身にはタトゥーがあり、髪もわけのわからない色で染められた女だった。
今まで一応品行方正な一真人間(自称)として生活を送ってきた人間にとっては、考えられない光景である。
だが、このままご返却するわけにもいかないと思い、とりあえず部屋に招き入れ、事情聴取とばかりにこう聞いてみた。
・今これとは別に普段はなんの仕事をしているのか?親御さんはどう思っているのか?
彼女は淡々と達観したように、
・工場で働いていること、親とは連絡をとっていないことを告げた。
彼女はこうも言った。「私はこれで生きていくんだ。」
「これで生きていく」というその覚悟に周りの目ばかり気にして生きてきた私は打ちのめされた。
私はその光景を思い出し、ようやく「自分で生き方」をデザインしていこうと決めたのである。
声優・大塚明夫は、著書「声優論」を執筆したが、NEWSPICKSのインタビューでこう語っている。
なぜ大塚さんは、この厳しい道を選んだのでしょうか。23歳の時に文学座の門を叩いたことが、芝居人生のスタートですよね。
大塚:はい。資格に頼らず、他の誰でもない、自分自身の人生を歩いてみたいと思ったとき、安易に役者を選んだんですよ(笑)。
たぶん、「承認欲求」だったんでしょうね。僕は大学を中退後、いろんな職業を転々としていました。トラックの運転手もしていたのですが、昔だったので大卒初任給よりもずっと稼げた。でも、これを稼いでいるのは俺自身じゃなくて大型車の「免許証」だよなと思ったんです。
──本書の中にある、職業の選択ではなく「生き方の選択」として役者を選んだという言葉に象徴されていますね。
大塚:僕は役者として生きていきたいからこの道を選びました。「声優という職業に就きたい」と思ったことは一度もないんですよ。
声優と呼ばれるようになったのは、役者として声の仕事が突出するようになっただけのこと。演じるという生き方を覚悟し、選んだ結果です。
職業ではなく、「生き方」の覚悟。
あれからすでに2年、3年という月日が流れた。未だにその覚悟は持てていない。多分あの日の彼女に言う言葉もないだろう。なるほど私はちっぽけな人間である。
でも僕はいつの日か、必ず、これで、生きていく、というものを成し遂げてみせる。
それがあの日出会った彼女に対するせめてもの恩でもあるように思う。