舟を編むを読んで感じた事。
今更感があるが、どうしてもこの読書感想を書きたくて、このブログにその感想をのせてみたいと強く思った。
読書界に行った時のことだが、小説の楽しみ方として2パターンあるようだ。それは完全にハッピーエンドで終わるタイプともやっとした間で終わるタイプ。
僕は小説は気持ちよく読みたいと思っているので、完全に前者タイプ。後者のタイプの方は、読後感の解釈を楽しむことが出来る点がその理由だという。
この三浦しをんさんの「舟を編む」は、どちらかといえば、ハッピーエンドの終わり方だと思う。
この小説は、辞書編集部 という知る人ぞ知る世界がもとになっている。辞書編集という世界に魅せられた人間たちの「好きなものに心を砕いて打ち込む姿」の美しさは、何にも代えがたい。
辞書は言葉の海を渡る船だ。ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっとふさわしい言葉で、正確に、思いを誰かに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫洋とした大海原をまえにたたずむほかない。
これは作中に出てくる登場人物の一人である老編集者荒木の「辞書とは」を端的に表すものだと思う。
この「舟を編む」は仕事小説ともいえるが、人間の生命活動の根本である言葉というものの大切さ、そして「どう生きるべきか」という生き方そのものも提示しているような気がした。
作中に出てくる松本先生が残した想い。人の去り際の美しさが凝縮された場面は、感動ものである。
私は本作が仕事や人生に利く良薬の作品だと感じた。
本当の成功は自分だけが知っているのかもしれない。
最近ある2人の元サッカー選手のドキュメンタリーを見て、こんな風に思った。
「本当の成功」とは、自分自身の心の声に従って行動したことによる成果なんじゃないか?と、
2人の人物とは、中田英寿と財前宜之。
中田英寿は説明はいらないだろう。言わずと知れたヨーロッパでアジア人の先駆者となりその名を知らしめた偉大なサッカープレイヤーだ。
しかしその中田は、実はアンダー世代ではずっと補欠からのスタートだったそうだ。そのアンダー世代で天才と言われたのが財前宜之だった。
天才と言われながら財前を苦しめたのが、度重なる膝のケガ。3回もの靭帯断裂を経験し、引退寸前にまで追い込まれたが、復帰し仙台をJ1に導く活躍を見せている。
中田をして、「財前みたいなプレーは一生できない。」と、
財前は今仙台でサッカースクールを主宰しているという。中田は引退後世界中を旅した経験をもとに、TAKEACTIONの主催など、イベントや広報活動を行っている。
自分の夢をまっすぐに追いかける中田と挫折を糧にそれを財産としてサッカーとともに生きる財前。両社の栄光に光と影こそあるが、それぞれの夢を追いかける旅の途中でもある。
人から見れば成功と移る中田も、まだまだそんな風には思っていなくて、自分の本当の成功に向かって今も進んでいるのだろう。
本当の成功は実は、自分の心だけが知っている。
そんなことを改めて感じることができた。
5年前の自分とこれからの5年後の自分
最近入社してから5年間の軌跡をよく思い出すことがある。そしてこれからの5年後について思いをはせることがある。
5年間また立派に勤め上げることができたら、ちょっとしたご褒美として本当に行きたかったところへ行こうかとひそかに画策している。
右も左もわからずただひたすらゆく当てもなく仕事をこなす日々。どんな仕事をやっていいかわからず途方に暮れた日々。何が自分に向いているんだろう?そんな苦しさを抱えながらも、その時々で背中を押してくれた人との出会いもあった。
5年たってずいぶん転職したりなどしている人間が多い中で、1つの企業でなんとか勤め上げている自分。そんな自分をえらいと思うだろうか?
5年勤めあげた歴史には節目でよい人に恵まれたからだと断言できる。それがなければとうの昔に会社を去り、腐りきった根性で仕事をしているに違いない。
5年も会社にいれば、実績などは多様にあるだろうと思われるが、全くそうではない。誇れる結果も何1つないというのが、実はこの5年の中身でもある。
仕事の結果と信頼を損ねてしまった自分自身に責任のすべてはあるのだが・・・
だからこれからの5年間。必死に仕事の結果と信頼を積み上げたいと考えている。
その上では目指す指針などは持っておいたほうがいいだろう。
「今の仕事でどうなっていきたいか。」
「本当はどんなことがやりたいか。」
5年後の指針を語るうえでピッタリな良書を紹介したい。
この中で為末大のキャリア論についての話が面白かったので以下引用したい。
職業はツールにすぎないのだから、その奥にある本当の目的を自問自答しながら見つけてほしいということだ。
それが見つかれば、何を選択すればいいのかがおのずと見えてくるだろう。そうなれば少々つまづいたり迷ったりしたところで、ぶれてほかの方向に行ってしまうことなどはなくなる。
結局キャリアに正解などはなく、自分で問いを設定し答えを導いていくしかないのだと実感する。決めた道こそ正解にするという心意気。
5年後の実像はまだ見えないけれど、自分で決めた道というものを信じて5年後の自分に歩みを進めたいと思う。
目標はメジャラブルに
その昔、僕は残業を抱えたまま夜中まで仕事をしていることが多かった。とにかく終わらなかった。しかしむしろ遅くまで仕事をすることで「仕事をやった感」にひたっていただけなのかもしれない。
仕事の計画などなく、とにかく朝起きて、PCを立ち上げて必死にこなす。そんな毎日だった。
そんな僕を見かねてか、以前の職場の先輩から早期帰宅命令が出された。
しかし当時の僕は時間をかけたほうが仕事がうまくこなせると思い込み完全無視だった。
終わらない理由は明白だった。
「納期までに間に合わせるには、今日どこまでやるか?」
目標設定のマクロと細かい段取りのミクロ。
これがなくては終わるものも終わらない。
計画がないから、無駄な作業をやってしまい、いつまでたってもたどり着かないのだ。
目標をメジャラブルにとは、小宮一慶氏の著作「大きな成功をつくる超具体的88の習慣」による。
メジャラブルとは測定可能、つまり具体化するということだ。
例をいえば、「何を、いつまでに、どれくらいやるか」となる。
当該本には、こんな印象的なフレーズがあったので紹介したい。
昔、ある銀行の支店長さんが「散歩のついでに富士山に登った人はいない」と言っていましたが、まさにそのとおりです。散歩のついでに富士山には登れません。富士山に登るという具体的な目標をもって、それに向かって計画を立て、その計画に従って行動し、進捗をチェックし、計画を修正、さらに実行していくのです。
これこそPDCAのサイクルになるのだが、具体的にものを考える力というものがこのメジャラブル(=測定可能)の肝になってくるのは間違いない。
社会人5年間を過ごした中で気づいたことは、
「残業は何も美徳でない」
と知ったことだろう。
僕が思う結婚観
この夏休みに親戚と友達の結婚の報告をいくらか聞くことになった。本当にもうすぐに30代突入となる中での結婚ラッシュ。
僕にはまだ何の予定もないのだが、内心焦りのようなものがあるといえば、あながち嘘になる。
結婚報告の一つでいとこの結婚報告会を兼ねた親戚同士の集まりに出かけた。いとこの奥様は、ハキハキしていて、社交的な印象だった。
しかし、うちの母はいとこの奥様を見て違う印象を抱いたそうだ。
家に帰ってそのことを僕に告げた。
「あなたには職業婦人のような人とは結婚してほしくない。」
所見で職業婦人と決めてつけてしまうのはどうかと思ったが、自分の考えをいうことにした。
「僕は、キャリア志向であることは必要だと思う。女性にも社会で働いて収入を得ていくのは必須だし。ただし家庭をなしがしろにするというわけではない。お互いの話し合いで、役割分担ができれば問題はないように思うけれど。」
僕はこう聞き返した。
「お母さんにとって、家庭とはどんなところであるべき?」
すると母は、
「みんながくらしやすいような場所をつくること。」
とはっきりと言った。
1世代前は、父が仕事に出ていき、母が家庭を守るといった家庭が多かった。うちの母も専業主婦だ。
今はどうだろうか?周りの結婚した友達をみると、ほぼみな共働きだ。
子どもができた場合は、育休休暇をとっているようだが、
その背景には、給与の低下により旦那の給料だけでは家庭運営がなりたたないということも確かにあるようだが、
しかし結婚をしたことがない奴が経験者にこうあるべきということはあまり発言してはいけないような気もするのでこの辺にとどめておこう。
理想は、やはり互いが素を出し合える関係性がよいのだが、僕はまだまだ経験も足りないのでその感覚を得られていない。
心が動いた経験の先に見えるかすかなもの
心から言葉にならない歓声が湧き上がったことはないだろうか?心を思わずわしづかみにされる経験はないだろうか?
そんな心が動かされる経験、興奮したりそこにハマるような心持ちになった経験が自分の人生のゆくえを決定づけるきっかけになるかもしれない。
Dropbox創業者ドリュー・ヒューストンは、マサチューセッツ工科大学の卒業生にあてたスピーチで、
「人生のテニスボール」を見つけようと語っている。
小さな頃、犬を飼っていました。犬とテニスボールで遊んだことはありますか? テニスボールを手に持って見せただけで彼らはものすごく興奮します。そして投げた瞬間興奮して走り出し、ボールに向かって一直線、リードが持っていかれたりしますよね? そう、これが幸せに成功している人々の姿です。皆さんもこんな気分になれるものを見つけて欲しいと思います。
やりたいことがない。と嘆いて、そんな自分を否定して探して見つからなくて、そんな苦しい日々が続いたとき、少し思い出してほしい。
自分の心の声を聞いているか?
人生のテニスボールを見つけるとは、自分の心に素直になって行動しようというメッセージなのだと感じる。
やりたいことがなくたって、すでにそのきっかけを見つけていて自分と向き合っていないだけなのかもしれない。
かすかなきっかけはやはり自分の心の中にある。
心技一体の偉業〜奥原希望選手について〜
奥原希望、21歳にして日本女子バドミントン界の希望を照らす逸材。
身長は普通の女子となんら変わりはない。しかし根っからの負けず嫌い。そして粘り強さ。正確無比なショットで相手の心を折る。
彼女に惹かれたのはプレーというか、その所作にある。
必ず試合前、行うことがあるそうだ。それはあるセリフをつぶやく。
「この舞台に立てることに感謝して、思いっきり楽しもう」
このきっかけは、自身が負った両膝のケガ。
選手生命を奪いかねない大ケガで、1年間のリハビリでコートに立てない時期があり、そのとき家族やリハビリに携わった方のサポートを強く感じ、バトミントンにかける想いをより強く持ったそうだ。
「周りの人のおかげで、私はバトミントンができている!」
その気持ちの強さというか芯の強さを彼女から感じた。
情熱大陸では各国を転戦する彼女の日々に迫ったドキュメントが映し出されている。
そこで感心したのが、洗濯物もなどやれるところは必ず自分で行うというところ。親御さんの教育の賜物だろう。
この淡々とした積み重ねがコート上での心の落ち着きにつながっていると感じる。
日々の生活の惰性は心の乱れをもたらす。
彼女のルーティンから日々の生活を整える重要性を学んだ気がする。
準決勝では惜しくも敗退したが、3位決定戦を戦う予定だった相手選手が棄権したため、女子シングルス初の銅メダルが確定した。
本当におめでとう!!!
各界で活躍する方々には持って生まれた才能ではなく、実は僕のような凡人でも学び取れる普遍的なパターンがきっとあるはずだ。
不完全さを認め謙虚さと誠実さを、