お悩みマンの未来日記

今感じたことを未来につなげるために、1人の働き人として役立つ記事を発信します。

失ったとき、そこからがスタートだ。

たくさんのものを失って初めて気づくことがある。むしろ気づかせられる。

親から、先輩からの様々な忠告。

でもそれを聞き入れられるほどに僕はまだ大人ではなくて、心も十分には育っていない。
 
「お前も後輩を持ったとき、俺が言っていたことがよくわかるから」
これは会社の先輩の談だが、
 
この先輩から発せられる言葉の意味は、本当に数年経ってわかる。それは、
 

時間と経験の積み重ね

 
のような気がしている。
 
  ただむやみに過ごす時間ではなく、経験を通して得た貴重な時間。経験は自分から情報をとることであったり、人との出会いであったり様々。
 
スポーツ選手の転機も負けがきっかけになることが多い。負けこそが自分の前に進むエネルギーとなり、今までよりももっと強くなる。
 
とんでもない失敗をしたとき、それは後退ではなく、新たなスタートだと思いたい。
笑って前を向けるように、
 
 
 

万年補欠だった僕が野球から学んだこと自分の強みだと感じたこと。

僕は小学校2年生から高校の3年生まで、受験勉強を挟んだ期間はずっと野球をやっていた。しかし僕の定位置は常にベンチ。レギュラーなどまた夢の夢で、程遠いものだった。

 

今でも思うのだが、「補欠である自分に価値などない、さっさと辞めてしまえ」と当時を述懐し、そう思うのだが、ここから僕は高校野球引退から今まで自己否定の人生を送ることになった。

 

しかし野球をやっていなかったら現在の自分がいただろうか?と感じるのも事実。反骨心も礼儀もなく本当にどうしようもない人間になっていたのではないかと思う。

 

野球の練習は、まさに礼に始まり礼に終わる。グラウンドに入ればまずはコーチや監督に挨拶。練習開始前と終了後にはグラウンドに向かって挨拶。

当たり前に思うかもしれないがこの挨拶という礼儀こそ社会人になった今でも役に立っている。

 

そしてつらかったのは、ケガをしてしまったことである。僕は肩と肘そして梨状筋障害を患ったことである。肩の腱盤障害始め、肘の靭帯炎症、梨状筋障害になったときは、バットを振れないほどの痛みがあり治ったと思ったらぶり返すつらい時期だった。

 

この時、始めてカラダのケアの大事さに気づいた。毎日の練習後のインナーマッスルトレーニングと

股割りのストレッチは欠かせないものになった。これは野球選手であれば当たり前のことかもしれないが、怪我がなければ、こうしたこともやらなかったであろう。

 

その後野球を引退した後も健康に留意した生活を続けている。体調を損なえば、損するのは自分だということをケガをした高校生のあのプレーできない辛さを見にしみているからでもある。

 

プレイヤーの僕はとにかく打てない、守れない、走れない。と3拍子揃ったプレイヤーであった。守備や走塁の細かな技術は好きになれなかったが、打てもしないのにバットを振り回すようなバッターだった。チームバッティングをしないのだからレギュラーになれるはずもない。

 

守備も走塁も何度となく同じミスを試合で繰り返しては、怒鳴られていた。しかしいつまでたっても治らなかった。守備と走塁に欠陥のある選手ほどとにかく使いづらい。僕が監督であったら絶対に使いたくないと思う。

 

しかしバッティングだけは好きになれた。ひたすらバッティングの理想の形をずっと追い求めていた。理想のバッターは当時ロッテで今は楽天イーグルスに所属する今江だった。

今江の上下動がなく、ボールを一直線にバットにぶつけるスイングを理想とした。

 

バッティングを好きになれたから僕は野球を続けてこられたかもしれない。打てなかったらひたすら何がダメだったかを述懐し、ひたすらティーバッティングに明け暮れていた。

 

「理想の姿を追い求め、それに向かって改善と実践を繰り返す」

このプロセスの積み重ねは今の仕事にも役立っているし、僕の中でとても好きな作業だと思っている。

 

色々と振り返りはしたものの、もう一度高校生に戻れたとしたら野球をやるだろうか?答えは多分NOだ。今度は文芸部に入って、制服デートでもして、高校生らしいそんな生活を送ってみたい。しかしやり直しのきかない人生だからこそ、1つ1つの選択なり決断は重いのであるとも感じる。

願望と野心とスケジュール

ある人から願望リストを書いてみたらというアドバイスをいただいた。実際に書いてみると、自分の中に埋もれていた願望にふと気づく。

 

僕の場合、最初に浮かんだ願望が、「本を出したい」ということである。これは昔から言い続けていること。

 

後は自宅にワインセラーを構えたいだったりなど、願望を書き出してみると自分がどんな風に今後くらしてゆきたいかを真剣に見つめる機会にもなったと思う。

 

普段何気なく過ごしていると、自分が本当に欲していることを忘れがちである。願望リストは、本来の自分と向き合うよいきっかけでもあった。

 

ただしこれを書き出しただけでは、意味がない。やはり行動に落とし込まないとただの願望で終わってしまう。

 

大事なことは、

「予定化すること」であると思う。

 

飲み会をしよう!と社交辞令見たく行ってみたものの、予定が合わず・・・なんてことはよくあるだろう。

 

予定がなければ、始まらない。

 

あなたは、この週末どんな自分の願望を叶えたい?

 

断つために必要なこと。

ショップ店員に勧められ、買いたくもないのに試着して時間をつぶしたりと、僕は人から勧められると無下に断ることもできず、ずるずると結論を引き延ばしてしまう「断れない」人間でもある。

方や嫌なものははっきりと嫌です。と断れる人が僕はすごくうらやましかった。

 

断ったら嫌われるかもしれない。そんな感情がふとよぎるのである。そんな迷いから生まれた決断が良い方向に向かう決断であればよいのだが、時として悪い方向に向かう場合もある。しかし誤解がないように言うが、悪い方に向かうことも自分の心が決めているので相手の責は何もないのである。

 

ただその決断の背景に「断ったら相手に申し訳ないとか」相手に起因するようなモノがちらっと浮かんだら、少し立ち止まって考えたほうがよいだろう。

 

自分がよくなるような決断であれば、どんなことがあっても前向きに進むことができるだろう。そこに相手方がどうだとかあまり気にしてはいけないような気がする。

 

断つには、自分の考えを普段から整理しておくことが重要だと思う。さすれば自分の価値観も見えてくる。判断基準も明確になる。自分の道を信じる心持ちが必要だと感じる。

 

あるべき足元を見て感謝する。

ある日僕は、とあるセミナーで出会った方とアポイントを取り、カフェで色々な話をさせてもらった。

色々と話し込むうち、なぜだか僕は「この先の将来がとても不安なんです」と漏らした。

 

相手の方は、「そんなに悲観的になることないんじゃない?」として、自分がこれまで経験した途上国での旅行経験を話された。

 

明日の食べ物にも困る、そんな状況で生きざるを得ない彼らに比べて、日本で生きている自分たちがいかに幸せかに気づいたのだそうだ。

僕も海外旅行の経験があるから、日本がいかに恵まれているかをとても感じることができた。

 

僕は何に対して不安なんだろう?彼の国の人はこんな状況を見てなんて言うだろうか?

 

「そもそも僕ら日本人は世界で見れば、日本で生まれただけで勝ち組とも言える。」と話されていた。

僕は勝ち組と負け組に分ける議論があまり好きではないが、この言葉は自分の心にストンと落ちてきた。

 

すでに土台は用意されているというものに気づかず、ときおり傲慢になってしまったりする。やはり謙虚な姿勢と感謝を忘れてはいけない。

 

これからの自分を難しく考えていた自分は、凝り固まった思考を少し解く。歪ませていた顔からふと力が抜けた。拍子に「な〜んだ!」という声が漏れた。少し明日からの希望が持てた瞬間でもあった。

 

 

 

絶望の中で気づいた人生を楽しむということ。

僕は絶望していた。周りが趣味を充実させ、その生き生きとした姿を見るたびに、

休日は友達と山登り!旅行先でこんないいものに出会った!

 

それを聞くたびに、自分のこれまでの生き様や無くした時間のことを振り返ってとてつもない虚無感に襲われるのだった。仕事をしていても集中できず、限界かもしれないと気持ち自体が萎えていた。 

それと同時に「人生を楽しむ」ということをどこかで忘れていたことに気づいた。

 

 どちらかと言うと、苦しい事が多いことの方が僕は成長できると感じていたが、苦しければ苦しいほど、気力の衰えを感じてしまう。

 

今も苦しいしきつい。楽をするということがなんだかダメなことのような気がしていた以前とは違い、楽ではなく、楽しむという気概を持つようにしようと心がけるようにもなった。

 

人生の楽しみ方は人それぞれ。あらゆる楽しみ方がある。そこに否定も肯定もない。

周りを見てると苦しさはあるが、自分なりの楽しみ方とうまく折り合っていければと思う。

 

 

オリンピックで1番感動したシーンは?

リオ五輪、日本のメダルラッシュで列島は湧いています。スポーツ選手の精魂込めた活躍は様々な人に勇気と感動を与えるもの。

 

中でも僕がオリンピックで1番に感動したシーンは、「北京オリンピックソフトボール女子悲願の金メダル」だと。

 

その立役者は紛れもなく日本のエース上野由岐子。後に上野の413球と語り継がれる魂の熱投は見る者を釘付けにした。2度の満塁のピンチも強気のインコースストレート勝負。テレビで見ているこちらもハラハラの展開だった。

 

特に優勝が決まった瞬間、解説の宇津木元監督が嗚咽していて、そのときにソフトボールの長年の悲願までの苦しみを物語っているようで印象的だった。

今その動画を見ても、涙を堪えられない自分がいる。

 

思い続けること、願い続けること。諦めないこと。教えていただいたような気がする。

 

 

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